MENTOR
INTERVIEW

近代東北史から日本全体の成り立ちや条件不利地域の発生を解明する

条件不利地域は
いかに生まれたか
各地域が秘める
可能性を発掘する


 

文学研究科

河西 英通 特任教授

近代東北史から日本全体の成り立ちや条件不利地域の発生を解明する

 

<日本の故郷>としての東北像はどのようにしてつくられてきたか

河西先生の専門は、日本の近代史だ。特に中心となるのは、東北地方の近代史である。
「東北というと一般的に、経済的な後進地あるいは文化的な遅れなどが強調されがちですよね。しかし、本当にそうだったのか。どうしてそうしたイメージができてきたのか。そうした観点から研究をしています」と先生。

最近では、2011年3月11日の東日本大震災を契機として、日本史の見直しを行う動きが活発になっており、先生の場合も、歴史学研究はこれから大丈夫なのかといった問題意識を持ちながら、東北をフィールドに取り組んでいるという。

「例えば、東北の人は純朴で、粘り強い頑張り屋で、口数が少なくて。そういったステレオタイプがつくられてきたのはどういうことなのか。実際はどうだったかということだけではなく、『どんな風に見られてきたか』というイメージにも関心があります」。

そもそも、近代史として研究される対象は、明治維新の舞台となった長州などが多く、東北の歴史はまともに研究されてこなかったと先生は言う。

「戊辰戦争で東北が負けた理由は、貧しくて考え方が古臭いからだ。そういうのが東北だというざっくりした考えがあるんですね。明治になると急に東北がひとくくりにされて、大体こんなもんだと思われてきた。それが今日まで続いているんです。それで、そんなところの研究に意味があるのかと言われたりもしたんですが、好きだから、関心があるから25年くらいこうした研究をやっています」とにこやかに語る河西先生。

根底には、「ひとくくりにする見方はとても危険」という思いがある。
東北はこう、日本人はこう、アジアのあの国はこう、といった見方は、多様性が見えなくなる元凶となるからだ。
「そういう見方が考え方をストップさせる。それが研究を通じてはっきりしてきました」。

東北を調べると日本が分かる。さらにアジアとも深く関わる

先生がたおやかプログラムで担当している科目は、「日本文化論基礎演習」。この科目では、日本の近代から現代に至る歴史および文化について、地域の視点に立って理解する能力を身につけることを目標に、明治以降の日本社会の発展を概説したうえで、近現代における先進・後進、あるいは中心・辺境の空間構造の作られ方を特に東北を対象に論じていく。資料の読み解きとディスカッションによって、アジアの中での東北および日本の位置付けへの理解や新たなアジア像の創出を目指すものだ。

「東北の歴史は、日本の歴史そのものである。さらに言えば、アジアの歴史の中でも、東北の占める意味は大きい」というのが先生の持論である。

研究は大きく戦前と戦後に分けてなされており、いまは戦後東北史に取り組んでいるところだ。

「第二次世界大戦の敗戦後、経済の復興は、農村から始まるんです」。

戦後は農村に疎開していた文化人たちが文化活動を行い、東北では農村文化が盛り上がる。他方、戦後に必要とされたのは電力で、50年代までは石炭や水力などによる発電事業で東北は好景気となり、戦後の復興を支えてきた。そして、経済の中心が製造業へと移行した高度経済成長期には、東北は資源と労働力の供給地として日本の社会構造を支えてきたのである。

「東北は、50年代・60年代の日本のエネルギー政策の軸となっていた。戦前は東北をさんざんスルーしておいて、戦後は国内の資源開発の中心に。アジアに植民地を求められなくなって、東北は内なる植民地といった意味合いを持つ訳です。自立的な経済発展ではなく、大きな資本を東京からもらって従属する。こうした事実を見ていくと、東北をもう少し大事に扱っておけば、戦争もしなくて済んだのではないか。広島に原爆が落とされることもなかったのではないかという気がしてくる。東北の歴史は、そんな風に広島ともつながっているんです」と先生は言う。

条件不利地域は本来的には存在しない。視点を、思考を逆転させる

河西先生は、たおやかプログラムが対象とする条件不利地域というものが、東北と同様に、“つくられたもの”と捉えている。

「世界経済理論のひとつに『従属理論』というのがあります。これは、西ヨーロッパ諸国は、最初から第三世界をある程度からは開発させないつもりで、世界中に手を伸ばしていったというもの。そうした仕組みの中でつくられてきたものをひっくり返したいという想いがあります」と先生。

「まずは、『条件不利地域』という考えそのものを見直さないといけないんじゃないか。すべての地域に可能性がある。これまで当たり前だと思っていた文化をひっくり返していくというところに、文化創生コースで学ぶ意義があると思っているんですよ」と言い放つ。

そんな先生のもとではいま、ベトナムからの留学生が1名、たおやかプログラムの学生として指導を受けている。彼女の研究テーマは、「日本とベトナムの義務教育の比較研究」だ。日本でも山間部の学校が統廃合でなくなるといった事態が起きているが、学校がなくなることは、条件不利地域になってしまう一つの大きな要因であるといった観点から、両国の教育問題を考えていくという。
「彼女たち留学生さんの問題意識というのは、僕にとっても大変刺激になる」と、その熱心さに感心しているとのこと。

また、同プログラムには、当初のプランニング段階から関わっていることから、「教師にとっても魅力のあるプログラム」と評価する。

「たおやかというのはいわば、自分の研究を英語で伝える努力を迫られる場なんですよね。ノンジャパニーズにいかに伝えるかということを、そろそろ日本の学術研究も本気になって考えないといけません」。

最後に、「条件不利地域は本来的には存在しない」としながら、たおやかプログラムへ寄せる期待をこう語った。

歴史家に求められているのは、明日につながるものだろうと思うんです。3・11以降は特にそうした思いが自分の中でも強くなりました。すでに1995年の阪神大震災以降、震災や水害などのガレキの中から見つかった家族写真や地域資料等を、薬品や機械を使って復元・保存するという活動がさまざまな人たちが協力によって行われてきました。こうした文理融合の活動がこれからますます重要になってくると思います。たおやかプログラムからも、これまでにない活動が生まれてくるものと期待しています。

河西 英通 教授
カワニシ ヒデミチ

文学研究科 総合人間学講座

1985.4.1~1988.3.31 上越教育大学学校教育学部 助手
1988.4.1~1991.3.31 上越教育大学学校教育学部 専任講師
1991.4.1~2007.3.31 上越教育大学学校教育学部 助教授
2007.4.1~ 広島大学大学院文学研究科 教授
2011.4.1~2011.6.30 カリフォルニア大学サンタバーバラ歴史学部 客員教授

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